傷を抱きしめ、ちゃんと立つ宣言

人と長時間一緒に居ると、疲れやすい性質だ。
気を使いすぎるのか、気を使うことが下手なのか分からない。
きっとどっちもだろう。

 

その、「誰かに気を使いすぎて疲れた」の感覚に、最近ずっと陥っていた。
誰に?
私はこの3ヶ月間、世の中に気を使いすぎていたんだと思う。

 

約3ヶ月前、世界中の生活が変わった。
と、捉えていた。そう、「自分の生活が変わった」ではなく「世界中の生活が変わった」と私は捉えた。
世界という単位で物事を捉え、自分の感情や衝動を二の次にした。
自分のショックを、人類全体のショックを前にして、まるで無きもののようにしていたのだ。

本当は、こんなショックたちを、感じていたというのに。そんな個人的なことを、記す。なぜなら私は、自分のショックを、ちゃんと言葉にしてこなかったのだから。

 

 

私は、自分のことを日本人とは思っていない。どこの国の人間とも思っていない。
国、という枠組みに自分を入れるのは、近年辞めていた。
(そんなことシステム的に出来ないよ、他者は日本人に見てるよ的な現実はどうでもいい。少なくとも私自身の中で、それはとても大事なこととして設定されていた)

 

でもこの3ヶ月、「日本人」という肩書きを大きく背負った。

毎日、世界中が「国」や「国民」で論じられていた。いやん、それ途方もないストレス!
「アメリカは大変らしいね、台湾はこんな政策を取り入れたらしいね」そんなことを毎日耳にし、口にした。
地球が再度分断されたようで、すごくストレスだった。そして悲しかった。
人には共感されにくい感覚だろうな、とそんなことはほぼ口には出していない

 

 

6月、私はしばらく遠のいていた演劇活動に復帰しようとしていた。

それは、大きな決意だった。
なかなか勇気が出ず、どうしてもやりたくて相談し葛藤し、やっと一緒にやれる仲間を見つけて劇場を予約した。劇場費を振り込んだ時の言いようのない感動と武者震いを、忘れられない。
公演の発表もなく中止が決まったから、これは、誰も知らない話。

 

大きな決意と喜びで指折り数えてた公演が無くなったのはすごく悲しかったのに、
私は、その悲しみを表に出せなかった。
だってもう何年も劇場で主催公演をしていない。劇団も空中分解したままだ。他の媒体でも活動している。
私が何か思いを表明するのは、演劇のみをずっとやってきた人に失礼なんじゃないか、有事の時に急に演劇人ぶった人に見えるんじゃないか、そんな引け目で「演劇人みんな大変だね」とまるで少し外の人のふりをして、一杯同情し一杯労いの言葉をかけた。でも本当は、声をあげて泣きたかった。

 

(私は辛かった、という話をするつもりはない。誰よりも辛い、誰よりも辛くない、なんて比較をする気も毛頭無い

 

 

自粛なら補償しろの文言は私のSNSを文字どおり席巻したし、
検察庁法改正案への反対の声は上げていない人を探すのが難しいほどだった。それが正直、とてもショックだった。

政治的発言をしたのがショックなんて、そんなアホくさいことは言わない。
怖かったのは、驚くほど多くの方が急に同じ声色で同じ文言で大声をあげ出したことだ。「人が消えた」と感じてしまった。

何より恐怖だったのは、「そうするのが当然。声を上げるのが当然」と、正義を語る人が増えたこと。まるでこの世に一つの正義があるかのように急になってしまった。そしてそれによって、乗れない人たちが一気に発言をやめた。それは、マジで最悪の光景だった(私にとってみれば)

繰り返すが、その内容や声を上げる素晴らしさを否定するつもりはない。なんなら私は高校の時デモに通ったタイプだ。

 

だが、あの波は不自然に見えた。怖かった。
それ以降続いたSNSでの誹謗中傷問題や人種差別への声色にも、一見明るいブックカバーチャレンジも正直同じものを感じる。

 

まあ、つまり、苦手なのだ。そう、特別苦手、ということなんだろう。

短期間で何度も起こった、集団性と黙った人々という構図を見て「戦争の時もこうなるだろうなあ」とすごくイメージが出来てしまった。コロナでこうなら、戦争などどうなるだろう……いつか来るかもなそういう時に、生きる自信が少し無くなった。

 

うすうす感じていた共同体への不信感も、肌を通して感じると、思っていたより何倍も不気味だった。尊敬し大好きな人たちも、どんどんそっちの波にのっていった。
総じて、この世は私には向いてないのかもなあ……なんて感じてた。
でもその違和感と恐怖を、私は誰にも言わなかった。「時期を待とう」と、押し殺した。どうしていいか本当に分からない、と思ってしまった。
それは、逃げたんだ、自分の感覚を尊重し闘うことから。

 

(何が正しい、とかの話はしていない。誰もが正しい。あなたも絶対正しい、同時に、私も絶対正しい。正しさを一つにする必要はない

 

 

まだものすごく個人的な感覚を綴り続ける(しつこい)。
2ヶ月半、私は東京で篭り生活を送っていたわけだが、
その直前、つまりちょうど2ヶ月半前は、カンボジアに居て、夜空の下缶ビール手に歌ってた。
その1週間前は、石川県の古民家で、新設の小学校について激論しては、みんなで風呂に入ってた。
その1週間前は、沖縄県のバーのカウンターに立ち、初めましての方々の悩みを聞いては、お返しに車で海沿いをドライブしてもらってた。
その1週間前はインドネシアで、その1週間前は……1週間前は……。
この数年のどこを振り返っても、いつも知らない土地に居た。

 

知らない土地で見知らぬ誰かと出会い、
初対面だからこその思い切りの良さで、誰にも打ち明けたことがない秘密や悩みを打ち明けあい、

赤裸々さに照れて盃を交わす。
もう決して会わないのを分かりながら「元気でね!』と手を振る。
それが、私の日常だった。
長いことかけて必死に手に入れた、愛すべき日常だった。
それが、消えた。

 

悔しくて訳わかんなくて、どこかへ駆け出して、行き交う知らない人たちを片っ端から抱きしめたい、そんな衝動に駆られて駆られてしょうがない(危ない)。

本当は言いたかったんだろう。「移動は私の生活で、他者との出会いが生きる意味、ぐらいに思ってた人がここにおります!生活の根本が崩れてます!やばいっす!」と。
でも「オンラインて何か足りないよねw」「ねw」なんて軽口叩いて、みんなも足りなさ感じてるんだから、と自分を慰め、我慢した。

 

 

小学校や中学校・高校に、日々赴いて授業をさせてもらってる。
そこで生徒たちに、「人に合わせるな、空気を読むな、自分の目で世界を見ろ、自分の衝動が何よりも大事だ」と、言いまくっている。

 

なのに私はこの3ヶ月間、ものすごく自分の思いを押し殺してた。
誰かに糾弾されるのを避けた。大変な思いをしてる誰かの気を害する恐れに負けた。
心底恥ずかしいが、そうなんだ

 

(私より大変な人はいくらでもいる、当たり前だ。でもその、自分よりも大変な人が居る、の思いが私の口を閉ざしたんだ。)

 

日本人のフリをすること。
窮地に陥ってるエンタメ界の人のフリをすること。
東京で生きてるフリをすること。
同じ境遇の人たちと、手を取り合ってるフリをすること。
2020年にコロナというウイルスを前にした人類、のフリをすること。
たくさんのフリをしたもんだ。
集団の中の一人、という肩書きを、たくさん背負ってしまった。
大きな主語の中に自分を入れて、自分が単体であることを二の次にした。

 

有事だからって、自分なりの信念後回しにして、何やってんだろ。

 

一人一人傷つき方も失ったものも違うなんて当たり前に分かってたはずが、
自分もそうだと、綺麗さっぱり忘れてたよ!(信じられない落ち度!)

 

きっと、自分の悲しみを誰とも共有できない予感が、悲しかった。
大事なものが永遠に無くなる想像を、一人でするのが怖かった。
だから、一緒に傷ついたフリをしていたし、一緒に傷ついてないフリをしていた。
それは、もうおしまいだ。

 

私の問題は、私のものでしかないのに。
問題の乗り越え方は、自分で生み出すしかないんだ。

向き合うべきはコロナじゃなくて、
コロナによって抱えてしまった自分自身の問題と向き合うことだ。

 

世間とか、世界とか、みんなとか、
そんなもん、「人」の集団に見えてるだけで、実態は何も無い。
虚像に気を使いすぎて、死にかけんな。
この時代を生きるけど、この時代なんて単なる箱。時代に合わせる必要はない。

 

人と繋がることは、気を使うことじゃない。
過度な尊重は自分を殺す。過度な尊重は、世界をつまんなくする。
小さな学校の教室を見てたら、そんなこと自明の理なのに、よくもまあ忘れてたものだ!!

 

命が何より大事なんていう、反論も許されないパワーワードで、思考停止していたよ。

 

命は大事だ。そんなの当たり前。
でもそのことと、みんなで仲良くお手々繋ぐことは違うんだ。
例え全てをないがしろにしてこの世からコロナが消えたとて、それは私の好きな世界じゃない。(またどうせすぐ何か起こるし)

 

命を守るより、私はやりたいことがある。
命を守るより、生きたいと思える面白い世の中を作りたい。
命以上に、一人一人の面白さを守り、一人一人の面白さに出会っていきたい。
そしてその面白さを抽出していく、それが、私にとっての、人生だ。
面白さを守ることは、純粋に「命を守る」とは違うことなのだ。

 

だからもう気など使わん。これ以上気を使ったら心が死ぬ。
私は私のルールだけを決める。
あなたには、あなたのルールがある。
これからも国や市町村や大きな存在が、たくさんのルールを決めていくだろう。
でもそれを、ただ闇雲に守るではなく、ルールの真髄を吟味して、真髄を守れる限り、カスタマイズしていく。
時にはルールも破る。それでいい。

 

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数日前から西の土地に来ている。
人に会ってないし話もしていない。私から誰かが感染することは、(今までのこのウイルスに関しての報道が正しければ)ほぼ無いだろう。
でもまだ許されてないのは知っている。それでも県をまたぎ、自分なりの生活を歩みだすのです。

 

2ヶ月半ぶりの乗り物は、乗って10分で、ノートは4頁メモで埋まった。
私は、こうやって、生きていく。
まだまだ続くのは知っている。
元の生活を取り戻すことだけが、目指す方向じゃないと、知っている。
もちろん私なりの、新しい道を探そう。
でもその道は、誰かと同じものではない。
そしてその、私なりの道を、口に出すのを恐れるのもやめようと思う。
なんだこの、マジで何も言えない空気おかしいだろ。

 

自由に意思を持ち自由に口にしても、許される土地で生きている。
その自由に、自らブレーキをかけることはしたくないと、強く思うのだ。
私は、私の正義を盾として、自分の人生をもっと、守り抜きたいと思う。
この世を、愛し続けたいんだ。

 

今言っておかないと、大事なものが消えそうで、文章にした。
願わくば、あなたの大事なものも、抱きしめたいと思う。
あなたが今何に辛いのか、あなたは今、実は何をしてるのか、
それはきっと、私と同じくらいくだらなくて、でもすごく切実なことだろう。
それらを、知りたいと思う。

 

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この文章を書いて、2週間が経った。どうにも熱量高めで書きなぐったもんだ。

 

たった2週間でも社会の空気は大きく変わり、たった2週間前の文章も、もはやどこか時代遅れかもしれない。

あの時の窮屈さや相互監視感は、あれ気のせいだった?ってほどになりを潜めたように思う(確実にあったというのに!)

 

なんて忘れる生き物だ、人間よ。

 

でも忘れたくない。忘れたらまた繰り返す。あんなことは嫌なんだ。

 

これだけ早く時代が流れると、気をつけないとその時代に乗ってしまう。感覚も、気づかぬうちにどんどん流れてしまう。

 

そうはならぬように、自分の足で立ち続けるように、インターネットに上げてみる。

 

先が見えないなんて言葉に惑わされず、自分の感覚には、ちゃんと繊細に立ち続けたい。
外的刺激が少ないからこそ身体感覚は鈍りがちだ。
だからこそ、自分の感覚を磨こう。
本当は、この数ヶ月だけ何かが変わったわけじゃない。本当は絶えず世界は動いていて、止まるものなんて何もない。コロナは何も特別ではない。
そんな風に、思えてきた2週間だった。

 

これを書いて以降、猛烈に毎日が楽しい。
一回思いっきり悲しんだら、失ったつもりで結局何も失ってない気がしてきたから不思議た。

気を使うのやーめたって思った、それだけでかなり楽しい。何も変わってないのに。そんなきっかけの、文章でした。

 

この世は、本当に面白いはずだ。もっと、もっと。その面白さを、隠す必要はない。